面積は226平方キロメートルで東京都の約10%を占める奥多摩町は、昭和30年、多摩川に沿った鳩ノ巣村、氷川町、小河内村の三ヶ町村の合併により生まれた.奥多摩町 誕生より40年が経過した平成7年、町はかつて人々が行き来していた青梅街道筋を「奥多摩むかし道」という名で遊歩道として整備した.
 奥多摩町の95%は山岳地、町南部を東西に貫いている多摩川の川筋の狭い平地を中心に人々は生活している.住民同士の往来する生活道でもあり、首都と甲府を結んでいた青梅街道は、この狭 い谷筋に沿ってつけられていた.長い年月使われつづけ、急峻な谷筋につけられた細い道筋は小河内ダムができることによってその街道としての役割を終えることになった.首都に住むものにとって 身近な行楽地となっている奥多摩湖、正式には小河内貯水池という名の小河内ダムによってできた人造湖.
 都民の水瓶として、小河内ダムは昭和6年にその計画が始まり、紆余曲折の末昭和13年に着工された.その後、戦争による資材、労力、機材の不足から工事は中断していたが、昭和23年再び 計画は動き出した.昭和28年に始まったダム本体の工事も以後4年半の歳月をかけ昭和32年11月に竣工し、奥多摩湖は出現した.三ヶ村のうち最上流に位置していたのが小河内村、その中心 部を含む村の大部分は奥多摩湖の湖底に沈んでしまった.村は町村合併により名を失っただけでなく、冠水により先祖代代暮らしてきたその思い出の地さえも失ってしまったのである.かつては小 河内村を経て人々が往来していた青梅街道もその水底に沈んでしまうことから、湖北岸を走る現在のルートにつけ替えられた.
 ダムは、辺境の地に膨大な資材とともに作られる.工事に先立つ昭和12年から資材輸送を目的とした檜原−西久保間に当時としては大掛かりな車道も開削されている.奥多摩町中心部 からトンネルと橋を連ねて奥多摩湖に至る現在の国道411号のルートがこのとき整備されたものである.それまでの、多摩川の谷に寄り添ってつけられていた狭い街道は、そこに住むわずかな人 々の生活道として残された.むかし道は、氷川集落から小河内ダム手前中山集落まで、この旧道部分であり、それにダムを迂回し水根集落に至る山道が整備されている.
 散策の起点となる奥多摩駅から終点水根集落までは約10キロメートル、大半は長年人馬が往来し、昭和初期には自動車も行き来していた街道跡ゆえに勾配は緩く、約3時間のウォーキング コースである.
むかし道  境集落と鉄道廃線跡.小河内ダムが作られたのは、大量輸送といえばまだ鉄道が主役の時代.現在の青梅街道のとなった車道の整備とともに、資材輸送を目的とした工事専用鉄道も 作られ使われた.資材輸送専用であることから、ダム竣工によって運行は停止.車道の方は青梅街道として現在にいたるが、線路の方は使われないまま半世紀の時間をすごした.狭い山間部に敷設され た線路だけにトンネルや高架橋部分が多く、それらの構造物は撤去されることもなく現在でもそのまま残存している.
奥多摩駅  むかしみちの散策コースは奥多摩駅に始まる.青梅線が現在の奥多摩駅まで延伸したのは昭和19年、当時の名称は氷川駅であった.かつては石灰石の搬出 を主とする貨物駅であったが、石灰石の鉄道輸送が廃止されたことにより、現在は週末に訪れる行楽客が中心の駅だ.
 駅を出て左に下っていくと、青梅街道の氷川交差点に出る.奥多摩湖方面に右折するとすぐ氷川神社があり大杉がたっている. この先が氷川大橋で青梅街道は日原川を渡る.この橋上からは見晴らしが良く、左手に小高い愛宕山のピークが見える. 橋を渡り氷川の中心地に入ると、むかしみち入口がある.青梅街道から右折したすぐ先には、表示があってこれにしたがって左手の道に入れば、コンクリートで舗装され た急坂になる. 愛宕山
廃線  急なのぼりは羽黒坂といい、氷川を出て早速現れる難所である.急坂を終えると細い歩道が続く.ちょうど下の国道411が南氷川橋に達したあたりで、愛宕山が 見えていた.その先でレールをまたぐ.昭和27年、氷川駅から水根まで工事資材輸送のために敷かれた専用線の跡である.ここから水根まで、廃線後はむかしみちとほぼ並走 していて、ときどきその姿をみせる.
 すでに工事用道路まで通っていたのに、それに追加して線路まで敷いたのは、今からみれば無駄な感じがするが、まだ大量輸送の中心が鉄道にあった時代のことである. 昭和19年、青梅線は氷川まで延長されていたから、この線路を通じて多くの資材が運びこまれてきた.そのまま線路を延長するのは効率的だったのだ.
 急勾配を登れない鉄道ゆえだろう.線路は、羽黒坂を登るのではなく、氷川駅(現奥多摩駅)から、一端日原川沿いに北に進んだあと、長いアーチ橋で 日原川を渡ってトンネルで戻ってくるようになっている.
 歩道は残されたレールと併進すると沢を巻くため北側に折れた.線路はそのまままっすぐ橋梁で小さな沢を越えて尾根を横切るトンネル入 ていく.沢を越えもどった歩道は緩い登りになり、このトンネルの上を越えて林道さいかち木線に出た.ここから先しばらくはこの車道を辿ることになる.民家の前に出ると、ここには休息所が設けれれてい る.ここから、車道は下り勾配で檜原に向かう.
鋸尾根、境  さいかち木から、むかし道は多摩川の北岸を檜原集落に向かっている.檜原は国道411号に沿ってある集落で、新旧青梅街道がここで一端合わさっている. むかし道のコースは、国道411号を歩くことなく集落内を進むようになっていて少しややこしい.檜原バス停の北側を進んで集落に入る細い車道を右折、あぜ道を登ると檜原から境に向かう多摩川北岸 の町道に階段で降りるようになっている.
 新道の檜原―境間は、檜原橋から橋詰トンネルを越えて境橋まで直進しているから1キロメートルに満たないが、むかし道は多摩川に流れ込んでいる小中沢を頂点に三角形を描いて進むから 距離も倍になる.小中沢には水量は少ないが小さな滝がかかっている.境集落に向けて折り返し、多摩川の縁に出ると東南に鋸尾根が見えてくる.ここから見えている尾根の上のでこぼこは、大岳山 登山ルートの瘤の登りが続くあたりであろう.
 まもなく境集落の中を進むようになると、集落の右手上方に再び廃線跡が出現する.このページ一番上の写真のように、民家の裏に立ち並ぶコンクリート製の高い橋脚と緑色に塗られた鋼桁が連なっ ている.線路を敷設する敷地が他にはなかったのだろう.線路は集落の空、民家の屋根の上を越えていく感じだ.
 境集落の道は、青梅街道境橋の袂に向かって下っていくが、むかし道のルートになっているのは、やや登しながら進む右手の車道で白髭トンネルの上を越えてその先で右に折れる.白髭神社に登る 細い石段が右手に現れる.ここから桃ケ沢まで続く山峡の往還道の赴きがそのまま残る多摩川北岸の細道が始まる.
神社
 白髪神社すぐ先には、弁慶の腕抜き岩が立っている.高さは1メートルほどの細長い岩で下部に丁度腕の太さほどの穴が貫通している. 腕抜き岩
廃線跡  進むと、むかしみちは青梅街道白髭トンネルの出口に接近する.車道の山側にはコンクリート桁の廃線高架橋がある.その先で民家の前を越えると、尾根の陰に惣岳不動尊がある. 多摩川、このあたりでは惣岳渓谷という呼び名があるようだ.現在でも結構急流に見えるが、ダムによって水量が調節されていなかったころは激流であったことだろう.
 この谷の上を青く塗られたシダクラ吊橋がまたいでいる.先に何があるわけでもないが、つり橋を渡ってみることにした.ゆれに加えて見下ろす流れは急流であって、結構怖い感じがする. この橋は古くからあったようで、昭和3年に発行された地形図でもこの場所に橋の印が見られる.当時も今も、橋の先に集落があるわけではなく、御前山の林間に続く作業道の入り口のようだ. したがって渡りおえたら、そのまま引き返すしかない.
不動尊
シダクラ
シダクラ橋
多摩川
 シダクラ橋を後にすると、道は右手に折れていく.民家の前を通りすぎると馬の水のみ場が残っている.1メートルほどの細長い長方形の石の水槽で、ここで馬に水を飲ませるとともに、 人も休憩したのだろう.その先民家がかたまって建っているところが道所で、前方の尾根の上部には中山集落が見えている.いよいよむかし道も終盤に入った.灰色に塗られた道所橋という つり橋の前を過ぎると、後は山間の道路でこれといった特徴はなくなりさびしいかぎりだ.尾根をひとつ越えると桃ヶ沢トンネルのところから下ってくるダム工事で作られた広い道路に合わさる.
 この道路はダム直下までつながっていて管理用に使われている.かつての街道は、ほぼこの道路に道筋に沿ってダムのところに達し、湖底に沈んでしまった多摩川の流れに沿って進んでいた. その先には移住者945人の暮らしがあった小河内村の中心地に入っていったのである.
 むかし道は、ここから水根集落に向けて山道を登るようになっている.水根集落にいかず、ダム建設用道路を中山に向けてもどると、トンネルを越え青く塗装された中山橋に出る. 橋を渡ったところから、細い車道を左に折れると集落の中を進み、青梅街道の中山バス停に出ることができる.
道所橋
map
LINK:むかし道 奥多摩町
 東京都水道局
 東京都交通局発電事業
小河内ダム
訪れるにあたって

<地形図>
 奥多摩湖(二万五千分の一)
<交通機関>
 むかし道の始まる氷川は、JR青梅線奥多摩駅から徒歩5分.また、奥多摩湖方面のバスで水根までいき、水根集落まで登ってから、むかし道を 駅にむけて下る逆コースをとることも可能.

トンネル
日原橋梁
最大の構造物は日原川にかかるアーチ橋
<廃線鉄道跡>
 むかしみちで、たびたび遭遇する鉄道の廃線は、東京都水道局小河内線のもので、氷川駅(現在の奥多摩駅)から水根の工事現場 までの延長6.7kmに資材輸送を目的に敷設された.橋梁、トンネルいずれも23箇所に及ぶ山岳線で、1950年に着工、1952年開 通、ダムの竣工した1957年に運行は終了している.トンネル、橋梁など構造物は半世紀を経た現在までそのまま残されている.
資料は宮脇俊三編、鉄道廃線跡を歩くV、JTB1997刊による.
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