浅間尾根タイトル 秋川
 南北2つの秋川にはさまれた細い山並みが浅間尾根である。まだ山里では馬が運搬の主役であったころ、この細い尾根上の道を馬が行き来していたそうである。  両谷筋の集落に住む人々は、この往環道で特産の炭を運び出し、生活に必要な物資もここから運び こんでいたとのことだ。谷筋に切り開かれた自動車道に輸送の座を譲ってしまった尾根の道は、ハイキングコースとして整 備されている。
 もともと街道であったのであるから、いったん尾根に上がってしまえば、道は平坦で歩きやすいはずだ。そして名前が示して いるように、富士山の展望を期待できるのだから、木々の葉の散ってしまった冬場の日帰りには最適であろう。 一月上旬のある日曜日、尾根道を歩いてみることにした。
富士山 浅間と名がついているからには、富士山を眺望することができる。浅間嶺の展望台では、冠雪した富士山が眺められた。
時坂を登る 浅間尾根の東端は時坂である。 檜原村の名所、払沢の滝のすぐ北側から登り始める峠道である。歩道は、車道によってたびたび切断されているけれど、 よく利用されているようで、標識が整っている。滝の駐車場から車道を歩きはじめ、標識にしたがって、歩道に入ると すぐに民家裏に出る。道は民家の上に続き、再び車道に出てしまう。車道と山道が交代で出てきて、植林中の道に入ると、 鳥井の前に出る。そのすぐ上には未舗装の車道が通っていて、時坂の峠である。標識でわかるのみで特徴はない。
 ここからは、しばらくはこの車道を歩いていく。平坦な道路は、まもなく時坂を登ってきた車道に合流した。林の切れ目から見下ろすと 、尾根の下に夏地集落が見え、この集落のバス停への下山道もつけられている。
 こんな冬の日であるから、無理のないことであるが、訪れる人はいないようで、峠の茶屋は閉められていた。茶屋を過ぎたあたりでは、 夏地を見たときとは反対の南側の切れ間には都心を遠望することができた。車道沿いに建てられた家屋の裏の流れは、払沢の滝のあるセド 沢の上流である。道はこの沢を渡って、往還道の旧家、高橋家の一軒屋の前に出た。
 この高橋家の横から沢沿いに道は登っていく。 この登りを終えると尾根の上に出て、落葉した木々の間から空が見えるようになった。尾根の北側に立つモミの木のもとで休息した。
払沢の滝 浅間尾根の東端の瀬戸沢には払沢の滝がある。この滝は厳冬期には滝全体が氷結することでも知られている。
時坂 時坂
↑ 時坂峠。
← 時坂を登っていく途中、振返ると 下方に檜原小学校の校舎が見えていた。
尾根道を歩く  地図で確認すれば、このあたりでもう予定していた道程の半分近くを歩いたことになる。ここから先はほとんど起伏のない 尾根道である。小岩バス停への分岐、生活道として利用されていたゆえに、それぞれの集落ごとに道があるのもこのコースの 特徴である。次の分岐点は、南秋川の上川乗集落のものである。
 浅間嶺と展望台に道が分かれている。どちらにいくべきか迷うが、今日は天気もいいことだし、眺望も期待できるのであるから、 展望台に寄り道するできだろう。取るに足らない程度だが、ここは少しだけ登り坂である。じきに展望のきく頂に出る。南側の幾重にも 重なった稜線の先に、富士山も見えている。時間的にはちょっと早いが、ここで昼食を食べてしまうことにした。
 浅間嶺から、坂を下っていくと休憩所のある開けた場所に出る。ここからは、御前山など北側の山々の見晴らしが良い。 歩き始めると、10分ほどで歩道は薄ぐらい植林中に入ってしまう。楽ではあるが、視界はなく、ちょっともの足りない 道程である。人里の分岐も林中にある。30分ほど歩き続けると、林が切れ南東の展望が開けた。ふりかえると、もう先までいた 浅間嶺は小さく、遠景の一部になっていた。
尾根に出る 瀬戸沢の源流を登り終えると、道は尾根上に出る。そして北秋川方面の視界が開ける。
浅間嶺 木々の葉の完全に落ちた冬の浅間嶺は明るく、眺望も良い。

人里集落への分岐 浅間嶺から
浅間尾根は秋川に住む人々の生活道として使われていたから、集落ごとに尾根から道が分かれている。
浅間嶺を後にすると、道は暗い植林の中に入ってしまう。

 若い植林帯に出ると前方に、中腹まで登る車道と倉掛の集落が見えている。 幼木の植えられた南面の斜面に出ると、浅間尾根入口バス停への下山道の分岐が現れた。ハイキングコースも ここで終わりのようである。ここからそのまま下ってしまっても良いだろうが、まだ30分ほど時間があるから、もう少しだけ先に進 むことにした。
 風張峠方向に続いている歩道に入って5分ほど歩くと、藤原峠という名の峠に着いた。この少し先で、林道が歩道を横切っている。 ひき続き歩道を歩くこと15分、次の分岐が現れた。そろそろ時間切れだろう。植林中の急な道を下った。 植林は竹林にかわり、廃屋と思われる住宅が下に現れた。下方をみれば、川筋には車道がはしっている。
 尾根道の旅もいよいよ終わる。 民家の裏に出て、この家の生活路である車がやっと通れるほどの幅のコンクリート道がついていた。沢沿いの車道に出ても、急なくだりは続き、 南秋川の谷底まで続いた。
 もう日暮れも近い。汗も引きはじめ体も冷えてくる。橋から見下ろす水量の減った秋川が流れは、氷つきそうな寒々しい風景だった。 檜原街道に出て、数馬方向に100メートルほど歩くと製材所があり、浅間尾根入口という名のバス停があった。
数馬に近づくと、幼木の植林地が広がり、空が広くなる。
浅間尾根からは、鋸尾根、大岳山の眺望が良い.雪を積もらせた鋸尾根は、それが奥多摩の一稜線とは思えないような銀世界であった. 鋸尾根

return to the visited page to the top page of this site


Copyright (C) 1999 Masashi Koizumi. All rights reseved.