昭和橋 [logo]Bridges of Okutama
昭和橋
昭和橋
 アーネストサトウは、ちょうど激動の幕末、英国外交官の一員として来日、 後には駐日公使にもなった日本通のイギリス人である.日本国内に残した彼の足取りは著述として残しているから、幕末から明治にかけて人々がいかに旅をしてい たのか知ることのできる貴重な資料となっている.明治に入り、日本を訪れる外国人のために彼が編纂した旅行書には、青梅街道を経て甲府に向かう旅程の記載も ある.
そこには、御岳から下山し氷川に達するルートとして、海沢集落先の橋を超えていく道があるが、出水時にはこの橋は通行不能となってしまい、出水しても危険のない 橋をもつのは山越えで氷川に向かう道筋であることが書かれている.明治初期にも、氷川から対岸に多摩川の深い谷を渡る橋がすでに存在していて、人々が行き来 していたことを示している.
 現在、この役目を果たしているのが昭和橋で、日原川が合流する場所のすぐ下流にある.青梅街道は氷川大橋で日原川を渡っている.コンクリートアーチの氷川 大橋に対して、こちらの昭和橋は赤く塗られた鋼アーチ橋だ.この橋の上を渡った車道は、青梅街道と奥多摩駅からの道で十字路を作っている.これが国道411号、青梅 街道から奥多摩駅への入口となっている氷川交差点である.
 橋の対岸は、奥多摩駅からも見えている三角錐の山愛宕山の麓で、橋を渡り終えるとこの愛宕山の登り口がある.神社のまつられた山頂からは鋸尾根を経て 大岳山に登る登山道が続いるから大岳山の登口ともなる.その先は氷川キャンプ場への降り口.キャンプ場は橋直下 右岸にあって、夏この橋を渡ったなら、川原に隙間なく張られた色とりどりのテントを見下ろすことができるだろう.
 

昭和橋写真を拡大する



もどる
Copyright (C) 2002 Masashi Koizumi. All rights reseved.