Zermatt switzerland
Matterhorn Zermatt
駅やメインストリートあたりでは、Matterhornの眺めはよくない.教会より南に行くか、Furiへ登るゴンドラの駅のある東側の通りに立つと はじめて全貌が見えるようになる.
 Matterhornはアルプスの中でも知名度の高い山だ.山に少しでも興味を持つ人であれば、こういう名の山の あることを知っているだろうし、角のような岩の頂が突っ立ていることも知っている.私にとっても、この山が最初に知った アルプスの山であった.
 私が中学生のころは、本屋の山岳書コーナーは昨今のようなにぎやかさはなかった.薄暗い店内に設けられたコーナーの には中公文庫が幅を利かせていた.その中に小西正継の「マッターホルン北壁」があった.この本が、私がマッターホルンという山 を知ったきっかけだった.
 アルプスはスイスにあるといっても、念入りに地図を見ていかないと、いったいどの辺にあるのかさっぱりわからない. この本を読んだあとでも、自炊しながら泊まるホテルに滞在したことが書かれていたことや、北壁という困難な壁がそこにはあると いうぐらいの記憶しか残らず、Zermattという麓の街のあることさえも、私の記憶からはすっかり抜けてしまっていたのである.
 したがって、いざスイスの旅行をすることになって、まずこの山の所在地を探すことになった. まずはスイス全土の地図を買って、イタリアとと面しているはずだから、南の国境線を探っていくといった具合だ. Matternhornとその麓にZermattという町は確かにあった.
 私のスイスの旅はGnevaが起点となった.Gneva駅でMilano行きの急行に乗り込む.いよいよこれでアルプスへの旅が 始まるのである.走り出した電車の右手の窓には湖面が見え続けている.そのレマン湖がようやく消えたのは1時間ほど後のこ とである.Bexという駅を出発すると、いよいよ雪山が見えてきた.電車はZermattもあるValaisに入っていく.
 スイスは大小さまざまなカントンといわれる単位をもとに構成された連邦国家である.比較的広いカントンであるValisの南はイタリア国境に 接している.そして最高峰MT Rosaを始めとするアルプスの高峰が並んでもいる山岳地域が主体である.Matterhornもその中 の一つだ.北のBernとの境界には、Jungfrauのあるもう一つの山域Berner oberlandの山々が並んでいる.
 このアルプスの山々の南側にRohne谷が刻まれ、その流れはMartiginyという町のあたりで北西に方角を変えてレマン湖に注いでいる. このrohne谷に沿って私の乗った電車は進んでいるのである.東西に流れているRohne谷から、南側のアルプスに突き上げていく支谷の一つに Zermattの町もある.
 電車は停まり、そこで乗り込んできた乗客はドイツ語で話していることに気づいた.見かけから観光客ではなさそうである. スイスは多言語国家である.Genevaあたりでは、もっぱらフランス語だったが、すでにドイツ語地域に入ったのであろう. やがてイタリア語を話す人々が乗り込み、終点Milanoに着くのであろう.鉄道の旅の面白さを感じた一瞬であった.
 Brig駅に着いた.Zermattに向かう鉄道はは最初は今乗ってきたスイス国鉄の1駅分西のVispが始点になっていたのであるが、 後にFuruka-Overland鉄道と結合するために線路を延長し、このBrig駅を始点した.観光客の利便のために工事を行ったのも 1930年ともうはるか昔のことだ.
 スイス国鉄SBBの駅舎の前に、BVZのBrig駅がある。客車の入れかえ作業が行われていた.道路を横切り牽引されていくのは、FOと書かれた Furuka-Overland鉄道の車両であった。そのつもりでみていくと、連絡駅であるから両社の客車が混在している.
 双方を直通にし、さらに国際的なリゾート地として名高いSt Moritzまで走っているのが、これまたスイスの旅に良く知られた氷河特急という ものである.その氷河特急はちょうど出て行った.
 私の乗る各駅停車は、しばらくホームのベンチで待たなければならない.日本とちがって線路の高さにあるホーム、道路とも同じ高さだ. 駅員はもちろん、乗客も入れかえ作業中の客車の行き来する合間をぬって、おのおの線路を跨ぐ. 私が乗る電車も、座っていたベンチとは向かいのホームに入ってきた.そのまま線路を跨いで客車に駆け上がればいいと駅員に指示される.
 Brig、Visp、終点、Zermattの3つの頭文字からBVZと略され、終点Zermattまで44km、1時間を要する. 途中駅のVispまでは、SBBに沿って西に向かって引き返し、そこで南に折れている.実に快調に走りだした. Rohne谷沿いのこの区間では傾斜は小さく、Brigからは川の流れに従って下りとなっているからである.
 Vispからもいくらか乗客が乗り込んできた.駅を出ると、次第に谷間に入っていく.発電所の横をすり抜け、橋を渡った あたりから、登りは本格的になってきて、電車は重々しく走るようになった.
 Vispの標高は650メートル、1605メートルもあるZermattまで、その差950mを登っていく.村ごとの小さな駅のあたりでは快調な走りに復帰する. 人々は平坦な場所を択んで住んでいることが実感される.どこもシャレ-が並んでいる静かな山村であった. そして、人里を出ると急に線路は標高を稼ぐようになっている.その登りは、アプト式のラックに支えられているのは言うまでもない. 走行する客車の音は重く、カーブでは線路がこすれる音が続く.ほぼ満員で出発した電車からは、以外にも途中駅で降りていく.トンネルに入り、覆道に続く短いトンネルを 抜けると、いよいよZermattであった.終着駅はずいぶん立派であった.
 駅前には、小さな電気自動車が並んでいた.ホテルが自分の客を迎えにきているのである.小さなホテルを予約してきた、私はこのようなサービスは期待できないから、 まずは歩き始めた.当てはないので、にぎやかな駅前の通りを歩いていくことにした.ホテルらしき建物では名前をみていく.アルプスの玄関口となると小さな田舎町を頭に 浮かべてきたのであるが、国際的に名が知れ渡っているだけに町はけっこう大きかった.翌日、朝歩いてみるとより大きな町であった.
 観光中心の町で、ちょうど、日本の温泉街とい った趣の通りだ.ホテルも多くは、シャレ-といった感じの木の外観の建物が並ぶ.運良く、私の予約したホテルはこの通りに面していた.ホテルは他の通りや、麓まで広く広がっているから 簡単に見つかるとはかぎらないことに気づく.
 こうして、Zermattの思い出深い滞在は開始された.それにしても、ここの滞在日数が3日しかないのはなんとも惜しい. 歩道はいくらでもありそうだからだ.まずは行き先の予定を絞らざるをえない.
train Zermattへの鉄道はBrigという町に始まる.このBVZ鉄道の駅はスイス国鉄の駅の前にあって、 ここからVispを経由して谷を登る電車が出発していく.赤い小型の客車には、三角形とBrig、Visp、Zermattと3つの主要駅を示す BVZが表示されている(Brig駅にて).
station Zermatt駅.電車の到着に合わせて名物ともなっているホテルの電気自動車が並ぶ. Zermattには自動車の立ち入りができない.
Gornergrat 駅の向かいには、Gornergratに登る登山電車の駅がある.この純粋に観光目的で建設された登山鉄道が開通させたのは 1世紀前の1899年であり、さらに開業時から電車が使われていたことには驚かされる. これに留まらず、Matterhornの山頂直下まで登れる鉄道さえも予定されていたようだが、 こちらが作られることはなかった.
Train BVZの赤い機関車とMatternhorn(Zermatt駅にて).
街の夕暮れ.
matter
左:みやげもの屋、ホテル、レストランが並ぶZermattのメインストリート. この通りの特徴は、登山用品がよくそろっているこであろう.
左:駅前でも、マッターホルンの先端が顔を出している.
Book
ツェルマット 周辺を歩く ヴァリス山群の特選コース24 小川清美 写真・文 山と渓谷社 2000年
現地のガイド本より詳しいと感じるほどのトレッキング案内.事前の情報収集に最適だろう.
Walking Easy Swiss & Austrian Alps :Second edition,Chet Lipton,1999年
Zermattに限らずトレッキングを楽しみたいとの願望をかなえてくれるのであるが、私にはそんな暇はなさそうで読んで楽しむだけだ. 所有するのは2nd edtionだが、現在は3rd edtionが発売されている
アルプス登攀記 エドワードウィンンパー(ティンダル編) 新島義昭 訳 講談社学術文庫 1998年 浦松 佐美太郎訳の岩波文庫版2冊)もある.
ウィンパーはアルピニストの代表であろう.最後の処女峰マッターホルンを勝ち取った、今から135年も前のこの日、アルプス登攀を競っていた黄金時代は11年めにして早くもその幕を閉じたのである. 原著のScrambles Amongst the Alps : In the Years 1860-69も入手可能.
アルプス紀行 ジョンティンダル 著 矢島祐利 訳 岩波文庫 1934年
マッターホルン初登に情熱をかけ、結局敗者となったティンダルの書.その当時知られていた、自然現象に関する知識を辿るためにも有用.
マッターホルン北壁 小西政継 中公文庫 1979年
若き登山家は、傍目からみれば無謀ともいえる登頂を決行し、成功する.日本人で初めて冬のマッターホルン北壁を登った小西政継、最初の著で文章も実に良い. やがて運も尽きるときがくるのが登山家たるがゆえにか. Yama‐kei classics版

The history of the Matternhorn First Ascents,Projects and Adventures.
Beat P.Truffer 
Guide Tour and history of Zermatt.
Georg Julen
2冊とも、土産物屋で販売されている小冊子といったもの. 80ページと74ページしかない本の値段は観光地価格だった.
Zermatt:Guide to Zermatt and Its Culture ガイドブックであって旅に必要な情報がだいたいそろう. 単なる観光案内ではなく、少しだけZermatt通になれるのがうれしい.
A Guide to Zermatt and the Matterhorn, Wymper Edward 著
105年前のガイドブックのリプリントで面白い. 私のように著者名を見つけて、つい手を出す人がおおいのであろう.みやげ物として成り立っているようだ. また、WhymperのAscent of the Matternhorn (上記の「アルプス登攀記」からマッターホルン関連のものだけに絞ったもののようだ) も2002/08/01に発行される予定のようで期待できる.
Link
Official information from Valais Tourism

Back Switzerland Menu Home

Copyright(C) 2001 Masashi Koizumi. All rights reserved.