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アーチ橋は比較的大支間の橋の場合に採用された方式で、昭和初期山岳部に敷設された鉄道に多く見られ る様式だ.士幌線とよばれる今はなき鉄路は、帯広駅から大雪山の懐、十勝三俣駅78.3キロメートルを結んでいた。 場所柄、生産された穀物の輸送や切り出された木材の搬出を目的とした線路であった。 大正時代末に敷設を終えていた帯広平野を縦断する線路の続きとして、上士幌駅から十勝三俣駅間が 昭和14年に音更線の名称で延長された.山岳部に作られただけに橋梁の数は37、コンク リート橋が多用されている.北海道の奥地に作るだけに資材の調達、輸送のしやすさはもっとも 考慮されたであろうし、コンクリート橋が塗装など完成後のメンテナンスを要しない点も北海道の僻地をいく線路 にとっての利点だったのだろう.「天然美ト人工美ノ快調ヲ計ツ」と建設要覧に明記されているように、北海道の大 森林地帯を走る鉄道として、環境との調和もうたわれていたのは、昭和6年、国立公園法が成立し、 昭和9年12月、大雪山が指定された時期と重なり、環境への配慮が必要とされだした時代を反映して いる. 音更線は昭和14年に竣工をみている.戦後、増加した電力需要をまかなうために糠平ダムが作られることに なると、水没する区間については移設が必要となった.昭和31年、ダムが完成すると糠平湖に沈むことになった 構造物は、作られてからわずか17年という短い生涯を終えた.幸いなことに、長さ130メートル11連のタウシュ ベツ川橋梁は撤去されないまま残されていた. それから半世紀、季節によるダム湖の水位変化によって、アーチの全容をみせたり、すべて湖底に沈んでしまっ たりする幻の橋として、その亡骸は四季を送り続けている. |
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士幌線は将来、石北線までつなげる予定もあったという.
それまでは、糠平以北の奥地は、伐採された木材の輸送を使命とした森林軌道的な役割を与えられる.
糠平湖を迂回する新線が作られた昭和29年から10年間がこの鉄路の最も活気があった時期となり、その後は廃止に向かう下り坂を 序々に走っていくことになる.十勝三俣にはたった5世帯しか暮らしていなかったというのだから、その利用者の少ないことは容易に想像 できるものだ.100円を得るためには22500円を要する超赤字路線. 昭和53年、糠平−十勝三俣がまず代替バスの運行に切りかえられている.そして士幌線全体も国鉄再建法による廃止の対象に 入り、最終列車は昭和62年に走った.正式に廃止されたのは、その翌年である. 士幌線が廃止されたことにより、湖西岸を走っていた新線も含めて、半永久にその鉄路を支え続けるはずだった構造物たちは、 その寿命をまつことなく捨てさられる運命となる. これらの多くがすぐに撤去されることなく、そのまま放置され続けていたのは幸いだった.地元の熱意と努力によって、これらは保存される ことになった.産業遺産という言葉が知られ、戦前の土木構造物を保護しようという声の聞かれるようになったのはごく最近のことだ. |
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![]() タウシュベツ―大雪山の麓に眠る幻のコンクリートアーチ橋 西山 芳一 写真 |
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