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大株歩道

 島中心部に位置する宮之浦岳の東に発し、東流し太平洋にそそいでいるのが安房川で、かつてその河口にある安房港はヤクスギの積み出しで 栄えた.奥地で伐採されたヤクスギは、安房川に並走するように敷設されていた森林軌道で搬出された.この森林軌道をたどり、安房川の源流域 北側に位置する高塚山南斜面の、縄文杉などヤクスギの森を辿って宮之浦岳に向かう宮之浦歩道に合流しているのが大株歩道である.

縄文杉
 今ではあまりにも知れわたった屋久島のシンボル的存在. 海抜1300メートル、人跡まれな原生林中にあったからだろうか、この木の存在が知られるようになったのは、意外にも1966年と比較的最近のことである. 子供のころ読んだ、椋鳩十の「海上アルプス」には、言い伝えられてきた大王杉の奥にあるという幻 の大樹を探す話があって、いまだ未知なる深い森を残す島のあることを私の記憶に残すこととなり、後に屋久島に出かけるきっかけとなった本でも ある.
 実際には、山仕事でこのあたりの森に入っていた人はたくさんいたはずであるから、この木の存在は一部には知られていたと考えられている. 大正12年に書かれた「鹿児島県屋久島の天然記念物調査報告書」には、「目通りにて囲五丈以上に達する屋久杉中の第一樹ある由を聞くも、雨天にて探求する能 はざりしを遺憾とす」と記述があって、周囲の長さは縄文杉によく一致していることから、この時点でもよく知られていたと考えられている.
 人跡未踏の山中どこかには、これ以上の大木が存在している可能性があると、第二の縄文杉探索は今でも続いているようだ.さらに大きな杉が発見されたとの 報告を新聞で見た記憶があるが、その後どうなったのか知らない.ただ、新たに発見されたとしても、一般の目に触れることはないのではないかとも思う.
 世界最高齢の木としてしられているアメリカのブリストールコーンパインにしても、そのありかは公開されていない.縄文杉がそうであったように、 名が知れわたり人々が殺到することは、老木にとって致命傷となりかねないからである.
 現在は、直接ふれないように保護用の木段もつけられているが、私がはじめて縄文杉を訪れたときにはまだ対策はされていなく、訪問者は根の上に乗って 樹皮に触れていたように覚えいる.それに、歩道がいよいよこの杉の前に出たとき気づくと思うが、縄文杉の一角だけ開けている.これは発見後 切り開かれた跡のようであり、縄文杉はそれまでにない環境の変化にさらされたはずだ.
 このことは、年老いた生命にとって相当な負担だったかもしれない.実際平成17年には雪の重みで直径80cmもある枝が折れている.老齢ゆえ、すでに屋久島の自然に 耐えられなくなっているのか、周辺の変化が原因で起こったことなのか気になるところである.この縄文杉の分身は屋久町立屋久杉 自然館に展示されているようだが、今後同じことが起こらないことを願うかぎりだ.
 さて、延々歩道をたどってこの杉の前に立ったとき、頭で想像していたものよりも小さくがっかりする人もいるようである. そもそも厳しい環境で生きているヤクスギは樹高もなくそんなに大きくないが、山中であるからさほど大きく感じられないのも一因かもしれない. この縄文杉、胸高周囲が16メートルもあるでっぷりした幹が特徴である.もしこの大木を切り出し輪切りのテーブルを作ったなら12.5畳く らいの広さになるはずである.まあこれが大きく感じるかどうかはその人しだいかもしれない.
 一方、樹高は25メートルと高くはない.ずんぐりとした容姿はヤクススギ全般の特徴であるのだが縄文杉は一段と太っている. 樹皮には瘤ができ、やわらかくまがった皺が作り出す姿は、やさしさを感じさせる重厚さであり、島の長老としてふさわしいのかもしれない.
大株歩道へのアプローチ
森林軌道 大株歩道を歩くには、ヤクスギランドに向かう林道安房線の途中、尾立峠から分かれる荒川林道に入り、安房川支流をせき止めた荒川ダムに向け下 っていく.まずは、荒川林道に始まる森林軌道上を歩き、歩道入口をめざさなければならない.
 森林軌道は、荒川を渡り、安房川右岸を1時間ほど登っていく.安房川本流を越える鉄橋が現れ、これを左岸に渡ったところが小杉谷作業所跡である. ヤクスギが切り出されていた最盛期には、山に関わる人々とこれに関係する施設で山中の集落を作り上げていた.学校跡の空き地も残り、草に覆われた斜面 に住居跡も見られるが、それらは使われなくなってそのままもう40年近くが経過していることになる.
 軌道は左に折れて左岸を進むようになり、30分ほど歩くと、宮之浦のすぐ南東にある集落楠川に始まり辻峠を越えてくる楠川歩道が合わさる楠川わかれ に到達する.宮之浦から白谷雲水峡まで、バスを利用し楠川歩道に入れば、こちらのルートでも森林軌道に容易に達することができる.
 分岐を越えると少し先に三代杉があり、その先しばらくの間左岸の軌道上を歩く.勾配は緩く快適な山歩きは軌道が沢に突き当たると終わる. ここまで、荒川林道終点の入口を歩き始めてから3時間弱を要する.ここからいよいよ大株歩道が始まる.
 大株歩道入口の表示にしたがって山道に入ると、本格的な登りが始まり最初に現れるのはコケに覆われた翁杉である.続いて空の見える広い林中の 空間に出ると、そこにはウィルソン株がある.訪問者はだいたいここで休憩を取って、大王杉、夫婦杉へと歩みだす.以前は道も悪く疲れも出始めて、 つらい登りになったここから先の歩道のほぼすべては、木道が整備された.木道を辿れば大王杉、夫婦杉を経て縄文杉に到達する.
 歩道入口から縄文杉まで、かつて私の使っていた地図では2時間強の所要時間が記載されていたが、現在は歩きやすくなった分、いくらか短くて 済むようになったが、その代わりとして、入山者の多い時期では歩道が込み合うことも考慮しなければならなくなった.
 せっかく訪問するからには、ただ歩いた思いでしか残らないようにならないように、それぞれのヤクスギでは立ち止まりゆっくり鑑賞できるだけ の余裕をもった計画を作り、歩き始めたらペース配分も慎重にすべきである.
大株歩道 大株
 アプローチに使う森林軌道も、現在は歩行用の板が設置されていて歩きやすくなった.板の切り込みは、水はけをよくし、利用者も 多くよく踏まれているからぬめりもなく滑らない.森林軌道が、支流大杉谷を渡る手前から大株歩道が始まる. この沢に架かる橋は使われていなかったようで、枕木まで朽ちて荒廃していた(写真右)が、整備され直し手すりついた.

森林軌道の思い出
森林軌道の橋 軌道
 私が最初にこの歩道を歩いたころには、土埋木の搬出が行われていて、荒川林道終点には、作業場があり、山から下ろされてきた土埋木の トラック積み替え作業が行われていた.そのため、縄文杉に向かう歩道も使用されている軌道の上を歩いていくものだった.
 伐採した木々を経済的に降ろすのが森林軌道の役割であるから、安全が確保できる最低限のつくりにしかなっていない.必要なだけ山を 切り開き、枕木を並べ、レールを打ち付けてあるだけだったから、谷に沿った険しい地形をいく軌道歩きはスリル満点だった.
 小杉谷集落手前には安房川に架けられた鉄橋(写真左)がある.下の写真は、1992年に行ったときのもので、この橋を渡り終えて振り向くと 人員輸送車がブザーを鳴らしながら渡ってきたときのものだ.森林軌道
 また、私が始めてこの橋を渡った89年下山の時には、雨にぬれてさんざん重くな った荷物を抱えて、レールの間、枕木の上に渡されていた狭い敷板の上を渡った.なにしろ桁と枕木以外に下の激流から私を守ってくれるものは 一切ないのであるから、すべる足元を確認しながら一歩一歩慎重に渡った.先に進まないわけにはいかないから、渡り始めはそれほどの怖さを感 じなかったのであるが、いざ渡り終えたとき、全身に恐怖が襲ってきた.考えてみれば、雨後増水した激流、足を滑らしたらもう助かるすべはない. 軌道 土埋木
 最初の旅だけに、このときはいろいろな出来事があった.軌道上を歩いているとき、突然ガラガラという轟音が聞こえてきた.振り向き、 顔の雨水をぬぐうと、すぐ後ろにトロッコが迫ってきているのに気づいた.少し先にやや広くなっているところがあったら早足で進みよけると、 スピードを落としながら大木を搭載したトロッコがすり抜けていった.1両づつ自重による滑走で下っていき、積荷の上に乗った作業員がブレーキ 操作をしているようだった.連日雨の中、やや弱まった隙をみて作業を始めたのであろうか.一昔前の荒々しい山仕事を間近で見ることができたの も、私の屋久島の思い出である.

翁杉
翁杉 大株歩道に入るとまず現れる老大木.

willson wilson
ウィルソン株 この歩道の名の由来ともなっている、 14メートルもある大株.1500年代末に切り倒されたという記録が残っているという.かつてヤクスギはその耐久性の高さから屋根板材として使われたという が、400年経ってもその株は朽ちることなく残存している.
 株の名の由来は、大正時代、調査に来島しこの株の存在を広めた植物学者の名だ.ウィルソン一行はこの株で雨宿りをしたという. 空洞となった切り株を山仕事の小屋として利用していたこともあるようだ.今でも株の中に入ることができ、そこには清水が湧き出し、祠も祀られている.
 天井はなく、上を見上げると、空と周りに立つ若い杉が目に入る.そこにあった大木が切り倒されたことによって生じた森の隙間を 埋めるべく、生え育った杉は勢いよく空に向かっている.伐採から時は流れ、これらの杉もすでに十分過ぎるほど大木になっているのであるが、 推定400年ほど、ヤクスギの時間では、まだまだ若く小杉と呼ばれているものにすぎない.
大王杉 大王杉 92年撮影
大王杉 縄文杉が発見されるまで、島最大の屋久杉として知られていた.もともと歩道は、この大木 の根を踏んで山側を通っていた(下の写真)のだが、木道は根を迂回して設置され、下から覗きあげるようになった.
 下の写真は、92年に撮影した大王杉で、歩道から見上げると、まっすぐ空に向かう周囲11メートルの太い幹は大王の風格だ. しかし、幹の中は空洞であって、それゆえに伐採を逃れ残されてきたのかもしれない.
夫婦杉
夫婦杉 大王杉に続いて、大株歩道の脇に現れるのは、夫婦杉と名づけられた2本のヤクスギである. より添って立っていることと、手をたずさえるように枝が伸びていることから、こう名がつけられているのであるが、 夫は妻の2倍も太っているし、妻の方の樹齢は500歳も若いうえかなり長身で、不釣合い.
 この夫婦が縄文杉や大王杉の近くで育ったことはまったく不運だ.夫の方の胸高周囲は10.98メートルと書かれて いるから、大王杉よりやや細い程度で、五指に入るほどの巨木である.すぐ先には縄文杉があるから、せっかく標識までつい ていても、縄文杉に急ぐ訪問者には注目してもらえない.

縄文杉
縄文杉 終につきました、大株歩道の訪問、目的は成就されました.観察台の木段を登るといよいよこの木と対面することになる. 多くの訪問者にとって、苦労して到達した目的地だけに、ゆっくり鑑賞したいところだが、ベストシーズンには観察台は相当込み合うよう で、記念写真の一枚も撮ったら場所を次の人に譲らなければならないようだ.
奥岳に登る 高塚小屋  縄文杉を後にして数分歩くと、コンクリートブロックで作られた避難小屋で、20人が泊まれる高塚小屋がある. この小屋で大株歩道は終わり、ここから先は宮之浦歩道と名が変わる.かつては、宮之浦川に沿った林道から登っ てくるルートがあって、ここで合流し宮之浦岳に向かっていたからである.高塚小屋より下部の宮之浦歩道を利用 する人はなく、現在は利用できないことになっている.
   92年、この小屋に泊まっているが、その時はまだ新高塚小屋が建設中であった.大株歩道の利用者はここで泊 まるほかになかったので、小屋は混んでいた.縄文杉を見て早々に入った私たち一行は快適な寝床を確保できたが、 翌朝外に出るとツエルトで泊まっている人もいた.
 混雑する時期に、山頂から下ってきた場合は時間があっても、大きな新高塚小屋に泊まっておくほうが無難 かもしれない.この小屋の水場は、ほとんど水量のない沢の源頭であったので、調理用の水を確保するのに苦労し た.新高塚小屋は、ここから1時間ほど先であるから、大株歩道を登ってきても、宮之浦岳の登山者はこちらを利 用するのが普通で、この旧高塚小屋は泊りがけで縄文杉を訪問する人の利用が多いようだ.
 高松小屋から南西の小高塚山に向かい、宮之浦岳に延びる尾根上の道になる.このあたりから先は、またひとあじ違う屋久島の姿を見ることができるようになる. 花崗岩の島である屋久島は、山頂に露岩がのっている山をよく見かける.歩道からみえるボール様の露岩は坊主岩と名づけられているようだ. 杉の木も樹高が低く、幹は複雑に折れ曲がっている.杉といえば、植林で手入れが行き届き、まっすぐ空に向かう姿を思い浮かべる 私にとっては、まるで盆栽であるかのように小さく複雑に折れ曲がった姿がなんとも異様なものに見えたのであるが、厳しい自然環境に耐えて 生きている生命としては、こちらが本来の姿であるに違いない. 樹林帯を抜け、平岩のあたりに達すると、いよいよ山頂部が近づいてくる.雨の時はまるで沢のごとく水が流れ下る歩道であったりと、 雨天時には厳しい場所だ.
屋久杉 坊主岩
屋久杉の白骨樹坊主岩
永田岳と稜線上の山々
 宮之浦歩道は、宮之浦岳の最後の登りに入る直前の分岐は焼野三叉路と呼ばれていて、ここから西にルートをとれば、標高で第2位の永田岳 に向かうことができる.山頂には大岩を乗せた永田岳も味わい深い山である.
 屋久島に来て、奥岳にせっかく登ったのであれば永田岳まで行くべきだろう.しかし永田岳までの道は状態もよくなく、歩道の土砂が流 出していて背丈ほどの段差があったりして難儀する.宮之浦岳に戻ってくるとなると2時間くらいの回り道になるから、往復を避ける登山者が 多いようで静かなピークだ.
 山頂の大岩に這い上がり裏側に出ると、眼下の深い永田川の谷の先には海、口永良部島も見えている.これこそ離島の山なのだ. そのことに気づくと、しばらくは感慨にふけりそこを去るのが惜しくなるが、縦走を続けるには焼野三叉路に戻らなくてはならない.
 永田岳は、奥岳で集落から唯一見えている山でもあり、視界の良いときであれば、島西部の永田集落、永田橋あたりから、谷に 切れ落ちる険しいピーク群を眺望することができる.
鹿之沢小屋 永田岳山頂
鹿之沢小屋 永田岳山頂

 永田岳に永田集落から上る岳参り道が永田歩道であり、永田岳西南には鹿之沢小屋がある.永田岳の山頂より1時間ほど下った場所にあるから 利用しやすい場所とはいえないが、反面利用者も少ないから静かな夜を迎えることができる小屋であり、沢沿いだから水も豊富で不自由しない. 私が泊まったころは、石を積んだ趣のある小屋であったが、近年建て代えられたらしい.鹿之沢や、小屋から永田歩道を少しくだった七つ渡し あたりのすばらしい景観は、わざわざここを利用してみたいと思わせるに十分だが、永田歩道に下る覚悟がない限り、再び永田岳に登り直さな ければならないから、やはり利用は躊躇させられる.
永田歩道のページ

 焼野三叉路から宮之浦岳に登り、南に続く稜線上の山々を歩いた記録は奥岳のページをご覧ください.
Okudake_map.gif Okudake Yakusugi land Kigensugi Anbo
花之江河 紀元杉
花之江河 最南の高層湿原. 紀元杉
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